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小川誠子六段の「おかっぱ本因坊」時代

女流本因坊3期(前身である女流選手権の2期を含む)、女流鶴聖1期と、女流碁界の歴史に確実な足跡を残してきた小川誠子(おがわ?ともこ)六段。
その名前が囲碁ファンの間に知れ渡ったのは1970(昭和45)年のプロ入りよりもかなり早い、1965年のことだった。女流アマチュア選手権戦において、14歳になったばかりの少女が日本一になったのである。小川六段に入門前後の少女時代を聞いた。
(当時の写真を眺め、しみじみと)懐かしいですね。ちょうど14歳になったばかりですね。「おかっぱ本因坊」とか呼んでいただいて…。この大会は優勝候補本命の方がおられて、私はダークホース的な存在でした。ですから全然プレッシャーがなく、気が付いたら決勝戦に進んでいました。その決勝の相手も普段から勝てない方だったのですが、石が取れてしまって優勢になったのです。
そのときふと相手の方を見たら、涙を流しておられまして、本当にドキッとしました。勝てる喜びと同時に身が引き締まる気がして「もし私が将来プロになったら、こういう思いをしなければならないのか」と、子供心に考えさせられたものです。優勝できたことがうれしかったことはもちろんですが、このことも強い思い出として残っていニューバランス スニーカーます。
あと、私の出身地は福井県なのですが、教えていただいていた中部総本部所属の酒井利雄先生(故人?八段)が喜んでくださって、すごくうれしかったことも覚えています。
そして、この優勝がきっかけとなって木谷實先生(故人?九段)に声をかけていただき、名古屋より上京して内弟子として入門することになるのですから、私にとってはものすごい転機の優勝だったということになるわけですね。
囲碁雑誌で見て知っていた憧れの木谷道場ですからね。不安よりもワクワク感のほうが大きくて上京したのですが、初めて泊まらせていただいた翌朝の光景が、今も忘れられません。7時半くらいに起きて2階の勉強部屋に上がっていったのですが、そこではもう先輩の内弟子たちが皆、勉強していたのです。その姿を見てドキッとして「ああ、私は本当にこの世界でやっていくんだなあ。やっていけるかしら」という思いと「よし、この世界で頑張ろう!」という思いが交錯したものでした。
当時の弟子のメンバーですが、大竹英雄先生はもう独立しておられて、石田芳夫さん、加藤正夫さん、武宮正樹さん、小林光一さん、趙治勲さんを筆頭に、そうそうたる方たちがおられました。本当にすごい顔ぶれで、まさに黄金時代だったと思います。こうした人たちの修業時代を見せてもらい、一緒に過ごせたというのは、私にとって何よりの財産ニューバランス レディース――実に幸せなことだったと思っています。

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