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先生は約の如く横浜総領事を通じてケリー・エンド・ウォルシから自著の『日本歴史』を余に送るべく取り計われたと見えて、約七百頁の重い書物がその後日ならずして余の手に落ちた。ただしそれは第一巻であった。そうして巻末に明治四十三年五月発行と書いてあるので、余は始めてこの書に対する出版順序に関しての余の誤解を覚った。
先生はわが邦歴史のうちで、葡萄牙人が十六世紀に始めて日本を発見して以来織田、豊臣、徳川三氏を経て島原の内乱に至るまでの間、いわゆる西欧交通の初期とも称して然るべき時期を択んで、その部分だけを先年出版されたのである。だから順序からいうと、第二巻が最初に公けにされた訳になる。そうして去年五月発行とある新刊の方は、かえって第一巻に相当する上代以後の歴史であった。最後の巻、即ち十七世紀の中頃から維新の変に至るまでの沿革は、今なお述作中にかかる未成品に過ぎなかった。その上去年の第一巻とこれから出る第三巻目は、先生一個の企てでなく、日本の亜細亜協会が引き受けて刊行するのだという事が分った。従って先生の読んでくれといった新刊の緒論は、第三巻にあるのではなくて、やはり第一巻の第一篇の事だと知れた。それで先ず寄贈された大冊子の冒頭にある緒言だけを取り敢ず通覧した。
維新の革命と同時に生れた余から見ると、明治の歴史は即ち余の歴史である。余自身の歴史が天然自然に何の苦もなく今日まで発展して来たと同様に、明治の歴史もまた尋常正当に四十何年を重ねて今日まで進んで来たとしか思われない。
それは、目下売出しの青年探偵、帆村荘六にとって、諦めようとしても、どうにも諦められない彼一生の大醜態だった。
帆村探偵ともあろうものが、ヒョイと立って手を伸ばせば届くような間近かに、何時間も坐っていた殺人犯人をノメノメと逮捕し損ったのだった。いや、それどころではない、帆村探偵は、直ぐ鼻の先で演じられていた殺人事件に、始めから終いまで一向気がつかなかったのだというのだから口惜しがるのも全く無理ではなかった。
「勝負ごとに凝るのは、これだから良くないて……」
彼はいまだにそれを繰返しては、チェッと舌を打っているところを見ると、余程忘れられないものらしい。彼が殺人事件とは気づかず、ぼんやり眺めていたという其の場の次第は、およそ次にのべるようなものだった。
* * *
それは蒸し暑い真夏の夜のことだった。
大東京のホルモンを皆よせあつめて来たかのような精力的な新開地、わが新宿街は、さながら油鍋のなかで煮られているような暑さだった。その暑さのなかを、新宿の向うに続いたA町B町C町などの郊外住宅地に住んでいる若い人達が、押しあったりぶつかり合ったりしながら、ペーブメントの上を歩いていた。郊外住宅も案外涼しくないものと見える。
帆村探偵は、ペーブメントの道を横に切れて、大きいビルディングとビルディングの間の狭い路を入ると、突当りに「麻雀」と書いた美しい電気看板のあがっている家の扉を押して入った。
アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日本劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。日曜日の開演時刻にこの劇場の前を通って見ると大変な人の群が場前の鋪道を埋めて車道まではみ出している。これだけの人数が一人一人これから切符を買って這入るのでは、全部が入場するまでに一体どのくらい時間が掛かるかちょっと見当がつかない。人ごとながら気になった。
後に待っている人のことなどはまるで考えないで、自分さえ切符を買ってしまえばそれでいいという紳士淑女達のことであるから、切符売子と色々押し問答をした上に、必ず大きな札を出しておつりを勘定させる、その上に押し合いへし合いお互いに運動を妨害するから、どうしても一人宛平均三十秒はかかるであろう。それで、待っている人数がざっと五百人と見て全部が入場するまでには二百五十分、すなわち、四時間以上かかる。これは大変である。
こんな目の子勘定をして紳士淑女の辛抱強いのに感心する一方では自分でこの仲間にはいろうという勇気を沮喪させていた。
ある日曜日の朝顕著な不連続線が東京附近を通過していると見えて、生温かい狂風が軒を揺がし、大粒の雨が断続して物凄い天候であった。昼前に銀座まで出掛けたら諸所の店前の立看板などが吹き飛ばされ、傘を折られて困っている人も少なくなかった。日本劇場の前まで来て見ると、さすがに今日はいつもの日曜とちがって切符売場の前にはわずかに数人の人影が見えるだけであったので急に思い付いて入場した。
二階の窓から狂風に吹き飛ぶ雲を眺めながら考えるともなく二十年前に見たベルリンのメトロポール座のレビューを想い出していた。ウンテル・デン・リンデンの裏通りのベーレン街にあったこの劇場のレビューは、一つの出しものを半年も打ちつづけていて、それでいて切符は数日前までにみんな売切れになっていた。世界の都でなければあり得ない現象である。
家には一銭の金もなく、母親は肺病だった。娘の葉子は何日も飯を食わず、水の引くようにみるみる痩せて、歩く元気もなかったが、母親と相談して夜の町へ十七歳の若さを売りに行くことにした。母親も昔そんな経験があったのだ。
夜、葉子は町角でおずおずと袖を引いたが、男は皆逃げ出した。それ程葉子は醜かったのだ。おまけに乾いた古雑巾のように薄汚い服装をしていた。葉子はすごすごと帰って水を飲み、母親にそのことを話すと、
「こちらから袖を引くよりも、男がからかいに来たら素人らしくいやですとモジモジしていれば、案外ひっ掛るかも知れないよ」
「いやです――と言ったらいいの……?」
翌る夜、葉子はまた出掛けた。そしてぐったりして帰って来た手には三枚の紙幣を握っていた。が、調べてみると、三枚とも証紙の貼ってない旧円だった。葉子はわっと泣き出した。
次の夜また出掛けた。男がからかいに来ると、葉子は、
「いやです、いやです、旧円はいやです」
まだ横須賀行の汽車が電化しない時のことであった。夕方の六時四十分比、その汽車が田浦を発車したところで、帽子を冠らない蒼い顔をした水兵の一人が、影法師のようにふらふら二等車の方へ入って往った。
(またこの間の水兵か)
それに気の注いた客は、数日前にもやはりそのあたりで、影法師のようなその水兵を見かけていた。その時二等車の方から列車ボーイが出て来た。
「君、この間も見たが、今二等車の方へ往った水兵は、なんだね」
列車ボーイは眼をくるくるとさした。
「帽子のない水兵でしたか」
「そうだよ」
「入って往ったのですか」
「往ったとも、気が注かなかったかね」
「それじゃ、また出たのか」
「出たとは」
「そんなことを云いますよ」
客はその後で、列車ボーイから、三人伴れの水兵が、田浦方面へ遊びに往っていて、帰りにその一人が帽子を無くしていたので、それがために、途中で轢死していると云うことを聞かされた。
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