私は、いろんなものを持っている。
そのいろんなものは、私を苦しめるために活躍した。私の眼は、世間や自然をみて、私をかなしませた。私の手足も徒労にすぎないことばかりを行って、私をがっかりさせた。考えるという働きも、私を恐怖の淵につれてゆき、さかんに燃えたり、或いは、静寂になったりする感情も、私をつかれさせただけである。
しかし、その中でたった一つ、私は忘却というものが、私を苦しめないでいたことに気がついた。忘却が私を生かしてくれていたのだ。そして私は、まがりくねった道を、ある時は、向う見ずにつっ走り、ある時は、うつむきながらとぼとぼあるいて来た。それなのに、突然今日、私はふりむくことをした。何故だろうか。もやもやした煙で一ぱいの中から、わざわざたどって来た道を見付け出さないでは居られない衝動にかられた。つまり、記憶を呼び戻そうとするのである。忘却というものを捨てようとしているのである。忘却を失ったら私は生きてゆけないというのに。
私は、死という文字が私の頭にひらめいたのを見逃さなかった。飛行機にのって、さて自爆しようという時に、一瞬に、過ぎ去った思い出が、ずらずらと並べたてられるのだ、ということを、私は度々人から聞いたことがある。私は今、死に直面しているのではない。が突然、発作的に起った私のふりむきざまが、死を直感し、運命というような、曖昧なものにちがいないけれども、それが、私の胸をきつくしめつけた。
私は、だんだん鮮かに思い出してゆく。おどけた一人の娘っ子が、灰色の中に、ぽっこり浮んだ。それは私なのである。私のバックは灰色なのだ。バラ色の人生をゆめみながら、どうしても灰色にしかならないで、二十歳まで来てしまった。そんなうっとうしいバックの前でその娘っ子が、気取ったポーズを次々に見せてくれるのを私は眺めはじめた。もうすでに幕はあがっている。
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