千年あまりも前に、我々の祖先の口馴れた「ある」と言ふ語がある。「産る」の敬語だと其意味を釈き棄てたのは、古学者の不念であつた。私は、ある必要から、万葉集に現れたゞけの「ある」の意味をば、一々考へて見た処、どれも此も、存在の始まり、或は続きといふ用語例に籠つて了うて、一つとして「産る」と飜さねば不都合だと言ふ場合には、出くはさずにすんだ。かの語を「産る」と説くのは、主に賀茂のみあれに惹かれた考へであるが、実の処みあれ其物が、存在を明らかに認める、即、出現と言ふ意に胚胎せられた語だと信じられる。
此事は柳田国男先生も既に考へて(山島民譚集)居られる。尤、神或は神なる人にかけて、常に使ひ馴れた為、自然敬意を離れては用ゐる事は無くなつてゐた。其一類の語に「たつ」と言ふのがある。現在完了形をとつたものは、「向ひの山に月たゝり見ゆ(万葉巻七)」など言ふ文例を止めて居る。此語は単に、今か以前かに標準を据ゑて、進行動作を言ふだけのものではなく、確かに「出現」の用語例を持つて居た。文献時代に入つては、月たち・春たつなどに纔かに、俤を見せて居たばかりで、敬語の意識は夙くに失はれてゐる。
諏訪上社の神木に、桜たゝい木・檀たゝい木・ひくさたゝい木・橡の木たゝい木・岑たゝい木・柳たゝい木・神殿松たゝい木があり、たゝいは「湛」の字を宛てる由、尾芝古樟氏(郷土研究三の九)は述べられた。此等七木は、桜なり、柳なりの神たゝりの木と言ふ義が忘れられた物である。大空より天降る神が、目的と定めた木に憑りゐるのが、たゝるである。即、示現して居られるのである。神の現り木・現りの場は、人相戒めて、近づいて神の咎めを蒙るのを避けた。其為に、たゝりのつみとも言ふべき内容を持つた語が、今も使ふたゝり(祟)の形で、久しい間、人々の心に生きて来たのである。
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